日常の中に散らばる喜びに出合えるのが、介護の良さ

介護職員トゥリ ユリアンティ
日本行きが選択肢に加わったのは、ドラえもんがきっかけ
EPA制度を知ったとき、アラビア圏内への看護師派遣の申請を提出したところでした。でも母親は「アラビアは遠いので辞めてほしい。」と苦言を呈していました。じゃあ日本はどうかと母に確認したところ、「姉が日本に住んでいるし、アラビアより安心。」とのことで賛成、EPA制度への申込をすることに踏み切りました。
早く日本に行きたい!軽い気持ちで看護師ではなく介護士に

EPA制度への申込後、インタビューや筆記試験、健康診断など様々な審査がありました。その後、受け入れ先とのマッチング。いまは受け入れ先の担当者と直接お会いし審査をしていくのですが、その当時は履歴書と写真だけでした。わたし以外の人たちは早々と結果が出ていましたが、わたしはなかなか連絡がなく不安でした。諦めかけていましたが、夕方に連絡があり、日本への派遣が決まりました。
「自分で決める強さを持て!」と母親からのメッセージ
搭乗ゲートの前で「1人になってしまったけど、どうする?」と選択を迫られました。一瞬キャンセルすることがよぎりましたが、家族や友人に日本で働くことを伝えていたので、いまさら辞めるわけにはいきません。お母さんに電話し状況を伝えたら「自分の判断でどうするかを決めなさい。もし辞めるのだったら迎えに行くから。」と。わたしは「行きます。頑張ります。」と決意を固め、日本に飛び立ちました。
研修のストレス?!ごはんが美味しくて体重が+20kg・・

言葉だけでなく介護技術も学びました。オムツ介助や食事介助、更衣介助や入浴介助…。インドネシアではお風呂に入る習慣がないのでカルチャーショックでしたが、「介助のなかで一番危険が潜んでいるよ。」と先生からの指導があり、気持ちが引き締まったのを覚えています。食事が美味しくご飯をたくさん食べてしまい、研修が終わる頃には20kgくらい太ってしまいました(笑)。
つらさのどん底にいた私を救ってくれたのは、母からの激励の言葉

まわりの人の優しさに触れ、楽しさが増えていった
楽しさが増した2年目を終えて迎えた介護福祉士試験。結果は不合格でした。悔しかったのですが、気持ちをすぐに切り替え、勉強をスタートしました。このとき保田さんや小田垣さん、田村さんと色んな職員が勉強を教えてくれたおかげで翌年合格しました。その後インドネシアに帰国した際、お母さんが「合格おめでとう、良かったね!」と直接伝えてくれたのは何よりも嬉しいお祝いでした。
正職員になってはじめて、行動1つひとつに責任がうまれた
日常の中に散らばる喜びに出合えるのが、介護の良さ

仕事で様々な経験ができているのも大きな理由です。利用者からの「ありがとう」の言葉。「私たち以上にお世話してくれた。本当にありがとう。」の家族からの言葉。日常のなかに不意にこういう瞬間があるのが介護の良さです。また生死を考えるきっかけにもなり得ることも介護の良さかもしれません。長年関わっていた利用者が亡くなったとき、死を意識します。「わたしもいつか死んでしまうんだ。」と。だからこそ、精一杯生きようと思えるのかもしれません。
ママの働く姿を子どもに見せたい。そんな夢を早く叶えたい

昨年3月に子供が産まれました。でも、いまは会えなくて寂しいです。わたしは日本で旦那と一緒に暮らし、子どもは私の母親と一緒にインドネシアで生活しています。いま子どもが日本に来る手続きをしています。もし子どもと一緒に生活できたら、今まで以上に仕事を頑張ります。「ママ、こんなに頑張っているよ。」「ママ、こんな仕事をしているよ。」と働く姿を見せていきたいです。